映画や小説のストーリーにルールなんて無い 定石があるだけ
まず状況説明
GIGAZINEにこんな記事が載っていた。
この記事によると、映画や小説のストーリーにはルールがあって、それは
「1.YOU」「2.NEED」「3.GO」「4.SEARCH」「5.FIND」「6.TAKE」「7.RETURN」「8.CHANGE」という8つのポイント
を持ち、この順番に出来事を発生させているということらしい。
例に挙げられているのはスター・ウォーズのパート4だが、他にも当てはまるものが多くありそうだ。
特に「1.YOU」は強力で、物語で最初に主人公を紹介するというのは論理的にも実際のデータ的にも確かな論拠を持っている。しかし!
これは「すべて」のストーリーに当てはまる「ルール」では断じてない。
前述のルール? が当てはまらない例
例えば刑事コロンボ。「主人公」ではなく「敵役」の犯人が先に登場する。
いや、この反論にはさらに再反論はできる。コロンボは「狂言回し」であり、物語の実質的な主人公は犯人なのだ、と。
それではこれはどうか。「ダンジョン飯」の宝虫の回では、主人公のライオス一行が出るまでに別の冒険者一行(ガングロチーム)が出てきて宝虫にやられる。宝虫の脅威を描くことが主題の導入である。
しかし主人公はガングロでも宝虫でも無いだろう。あくまでライオスが主人公である(マルシルも主人公っぽいがあれはジョジョ4部の康一くんにあたる)。
が、主人公の定義について語りたかったわけではない。「すべて」ではないよということが言いたかっただけだ。
そして、「ルール」も否定したい。
そもそもルール? がおかしいという論
というかこちらを主に否定したい。
一体、物語にルールなんてあるのか。
あるように見えなくはない。例えばミステリには「アンフェア」という評し方があり、アンフェアという言葉は暗黙の「フェアなルール」を想定しているように思える。
しかし、アンフェアな傑作もある。「アクロイド殺し」は(ネタバレ)で(ネタバレ)なためアンフェアという評価が多かったようだが、傑作であるとの評価もまた多い。
ミステリにおけるルールとは、「それをするとミステリだと見てもらえますよ」というマナーだと思う。
そしてルールを破ったとしても、ミステリだと見てもらえないという問題はあるものの、ストーリーではある。ストーリーは成立している。しつこく書くが、ミステリではないとしてもストーリーは成立している。
ミステリに「アンフェア」という言葉があるからといって、ストーリーにルールがあるとは言えないのだ。
ルールなんてないさ ルールなんて嘘さ
やはりストーリーにルールはないと思う。定石、セオリー、マナーはあるとしても。言葉遊びみたいで恐縮だが。
スター・ウォーズの脚本家を含む多くの作者が前述の1.から8.のポイントをおさえて制作しているように見えたとしても、それはルールだからそうしているのではない。
そうしたほうが売れるから。
……というのが身もふたもなさすぎるとすれば、そうしたほうが効果があるからだ。
ダンジョン飯の宝虫の回を思い出せば、あの回でガングロ一行の描写に冒頭のシーンを割いたのは、宝虫の習性を描写しておいたほうが、ライオス一行の紹介をするよりも、効果があるからである。
連載ものだから、ライオス一行のことをすでに読者は知っている、という特殊な事情もある。
効果が高いと判断すれば、1.から8.のポイントはおさえなくてもよい。
もちろん九井諒子が、物語の形式について深い洞察をしているからこそ、あえて外すことができたわけである。「ひきだしにテラリウム」を見れば九井諒子のちょっと歪んだお約束への愛情がわかる。
結論
- 物語にはルールはない
- しかし、そうしたほうが効果が高いことが予測できる、いくつかのパターンはある
- マルシルはダメっ子かわいい