本の魅力と本の機能(漫画・小説)

ってなことをつぶやいたのでそれを広げてみる。

本の魅力と機能が違う、ということは以前からちょっと思っていた。Yahoo!知恵袋とかでよくある質問に「本を読むとどういういいことがありますか」というのがあって、「趣味なんだからいいことを求めるのは違うだろー」と思ってはいたのだが、でも厳然として本を読むとなんかいいことがあるらしいというのは(世間一般に)ある。

そこで自分の脳内で矛盾しないように生み出したのが、「魅力」と「機能」の2分割。本を読むと楽しいという効果と、ためになるという効果、二つが同時に存在しているというわけだ。

例えばスポーツをやるのだって、単にスポーツが楽しいからやる人もいれば健康のためにやる人もいるだろうし、この分割はいろんなところで存在できるんじゃないかと思う。


さて、「楽しいという効果」と「ためになるという効果」。「楽しい」のほうは説明は不要だろうが、「ためになる」というのが曖昧というか宙に浮いたようなというか、よくわからない。

先のツイートでは、「比喩のレパートリーが増える」という効果を持って「ためになる」を説明している。

「比喩のレパートリーが増える」? それって、「語彙が増える(まあ、これもある)」のよりもマイナーな効果じゃないか、と思うかもしれないが、自分は比喩のレパートリーが増えることが重要だと判断している。

物事を考えるとき(例えば、人を殺してはいけない理由とはなにか)、論理から余分なノイズを省くために、喩え話を使うことがある。

例えば、「人を殺してはいけない理由」から、「警察に捕まるから」というのを省きたい。そこは本質的じゃないだろ、という理由で。

それで「例えば、絶対完全犯罪になるトリックを知っていたら、人を殺す?」という喩え話が登場する。それでも殺さない、ということになれば、「じゃあ、"警察に捕まるから"は直接関係ない、ノイズだったのだな」と理解できて、話が前に進む。

ブレインストーミング的などんどんアイデアを出す時ならともかく、話を前に進めたい場合、本質をはっきりさせたい場合は、喩え話の効果が必要になってくる。

そして喩え話を操るのに、比喩のレパートリーが必要になってくるわけですよ(つながった)。


 フィクションなら、そもそも丸ごと全部喩え話だといっても過言ではない。何を例えているのか明かされる場合は少ないが。

例えば、主人公の前にライバルが立ちふさがれば、それは「貧困VS富裕層」だったり「才能VS努力」だったりといった価値観のぶつかり合いに発展する。作者が意図していようがいまいが、読み取ることはできる。

そしてそういうのを読み取るうちに、自身の中の「関係性」を読み取る力がレベルアップして、喩え話を操る力が高まり、思考力が高まる、と。そういうわけですよ。たぶんね。