伏線と豆知識、そして覚醒 物語の主人公がピンチになったとき作者はどうするのか
剣術と僧侶
手塚治虫のブッダではブッダは剣術を使えた。で、僧侶なのに剣術を使えることがある場面で役立ったのだ。
もう記憶がおぼろげだが、そのシーンを読んだ時自分はグッと来たのを覚えている。
「他と違う特徴」がちゃんと活かされるのはいい。
ブッダの場合、王族だからだっけ? タッタの絡みだっけ? 忘れたがとにかく剣術を覚えている僧侶という他と違った特徴を持ち、それがきちんと活かされた。
豆知識と考古学者
さて、このように「過去の設定を活かして難局をクリアする」のが物語の王道と言えるだろう。
しかしそればっかりはできない都合というものがあったりする。
そんな時にどうやって難局をしのぐのかが作家にとっての腕の見せ所だ。
マスターキートンは、多くの場合そこで科学の豆知識を投入してくる。
キャタピラは石鹸水に弱いとか、銃身が曲がっていても弾は飛ぶとかそういった知識である。
これがなぜ気持ちいいのか自分を見つめ直していたところ、このような仮説が浮かんで来た。
「その豆知識を知っていれば自分にもできそうだから」。
つまり、なろう小説などで中世の世界に現代科学を持ち込んで無双するのと似たような原理である。
ビッグコミックだろうとなろうだろうと、無双は楽しいのだ。
解法の比較
閑話休題。
ピンチになった、どうする? 即席のフラッシュライトを作って相手の目をくらませたから助かった!
みたいなのは、実のところ「ブッダ」の剣術よりは悪い手段だ。
伏線を用意しておいてそれを使った方が、その場のなにか新しいもので助かる展開よりは構造的には綺麗だ。
しかし同じその場のアレでも、突然覚醒するパターンよりは優れていると言える。
自分にも誰にでも、その豆知識を知っていればできる手段のほうが、突然超能力に目覚めるよりは納得しやすい。
ちなみに覚醒の代名詞とも言えるドラゴンボールのスーパーサイヤ人はくどいほど伏線をいれていた。
フリーザを倒すという難題を解決しつつ、納得度を高めるには前フリを何度も入れる必要があったのだ。
納得とは
そう、問題は「納得」なのだ。納得はすべてに優先するぜ!
難題が起こった時、解決はするだろうけど(しなかったらそれはそれでまずい)どうやって解決するか、納得できる解決か、読者はそこを見ている。
ブッダの剣術のように、前フリや再利用可能な伏線を使うか。
この方法は納得できるばかりか、主人公の特別感を高める。
マスターキートンのように、誰にでも知識があればできる手法で解決するか。
この方法は納得はできる。場合によっては無双の優越感を得られる。
スーパーサイヤ人のように覚醒するか。
この方法は納得感という面では小さい。それゆえに他の方法を併用して納得感を高めていく必要がある。
さまざまな解法があり、今日もどこかで作者が頭を悩ませている。