DADGADのことをすこしりかいした

DADGADとは

ギターのチューニングの一つ。

いわゆる一般的なチューニング(レギュラーチューニング)は、

低い弦からEADGBEという並びで音を合わせる。

そこでDADGADはDADGADというふうに合わせるのだ。

変則チューニングの異端児

変則的なチューニングの中で、メジャーなのはオープンG,オープンDなどのオープンチューニング。

これらは解放または同じフレットをセーハしたときにちょうど協和音が出るように設定されている。

例えばオープンGなら、低い弦からDGDGBDなので、ソシレ、Gの和音が鳴る。

その観点からDADGADを見ると、全弦開放時レソラ、Dsus4がなってしまう。

つまり、すべての弦を押さえただけでは(通常の)コードはならない!

じゃあどう使うのか

変則チューニング=オープンだろうという頭で入ってしまったのがいけなかった。

DADGADは、マイナーペンタの乱れ弾きに向いたチューニングだったのである。

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これを見ての通り、DADGAD上ではルートのあるフレットとその3フレット先を弾けばマイナーペンタが完成する。

Aが2音連続している点、低い方のオクターブはGの音がない点には気をつけよう。

Aが2音連続している点はむしろ味のある演奏に昇華できそうな感じもした。

さらに今回図にしなかったが5フレットあたりのポジションもペンタに向いてる感じだった。

DADGADはむしろソリストむけのチューニングだったのだ。

とはいえ

単にソロを弾くだけなら弾き慣れたレギュラーの方がいいだろうから、

DADGADの和音感も活かしつつあいまに単音でオカズを入れるスタイルがいいやもしれぬ。

イメージ的にはニール・ヤングみたいな。

英語版Wikipediaの「List Of...」が暇つぶしにも参考にもなる

あらまし

たまたま市内の本屋さんに行ったので、

前々から気になってた「JAZZ STANDARD BIBLE」という本を買った。

ジャズセッションでよく演奏されるような曲を集めた楽譜集で、値段は200曲超のボリュームがあるが値段もなかなかごっつい。

この本について、あるいはジャズスタンダードについてはまた書く機会もあるだろうけど、

今回は別の話。

始まりはブルース

JAZZ STANDARD BIBLEがあるならBLUES STANDARD BIBLEも無いかなと思って「blues standards」でググってみた。

そこで引っかかったのがウィキペディア

List of blues standards - Wikipedia

Born Under a Bad SignやHoochie Coochie Manなど知っている曲も適度に織り交ぜられ、

でもけっこう知らない曲もあって、40曲ぐらい。

これは参考になるな…と思った。

ブルースやブルース・スタンダードについてもまた書く機会もあるだろうけど、

今回はさらにリンクを辿ってしまった。

リストのポータル

Portal:Contents/Lists - Wikipedia

リストが集められたページ。

Musical repertoire - Wikipedia

ミュージック・レパートリーと読むのだと思う。

List of J-pop artists - Wikipedia

そして日本人としてJ-POPアーティストも気になる。

読むものばかりだ!

読むと言っても

自分の英語力はかなり怪しいのだがList Of..みたいな単純なページだったらわかるし、

幸か不幸か日本人アーティストの記述は充実はしてないので何となく分かる。

これはいい暇つぶしになりそうだ。

J-POPアーティストのリストには斉藤和義は載っておらず、奥田民生山崎まさよしは載っていたが記述が薄い。

そして奥田民生から飛んだパフィーの記述がもっとも濃くてさすがはパフィーとうなった。

List of philosophies

List of philosophies - Wikipedia

哲学のリストだと思うが、ism多すぎで笑った。

ジョンレノンに笑われるぞ!

【レビュー】ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム / 赤野工作

前置き:レビューについて

レビューの面白いところは、レビュー対象を語っているようで同時に著者の価値観を語ってしまうところだと思う。

レビューするからには(読書感想文式のエピソード羅列を除けば)その対象を評価するわけだが、

文芸にしろ音楽にしろゲームにしろ、その「物差し」は人により異なる。

ある人にとって素晴らしいスネアドラムの「タメ」が、ある人には「モタって」聞こえたりする。

だから評価するということは、自分はこの作品をこのように評価する価値観を持っているのだよと宣言することにもなる。

人はレビューするとき、自分自身をさらけ出してしまう。

――という構造を、ものの見事に利用してみせた小説が赤野工作ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームだ。

 

amzn.to

kakuyomu.jp

架空のレトロゲームのレビューサイト(未来版)

この作品は架空のビデオゲームのレビューサイトの記事、という体裁で作られている。

さらにそのサイトは未来に存在している(SF小説なのだ)。

んで、そのレビュー対象は(そのサイトの時代から見た)レトロゲーム

現代から見ると、未来に発売されるゲームを、さらに未来からレビューするという複雑な構造だ。

掲載されるレビューの多くは、その発売当時の最新技術をゲームに活かしたもの、しかし失敗作(だからノーネーム?)に終わってしまったゲームの評価を見直すという形になっている。

通常のSF小説だと、最新技術の開発と同時代に主人公がいることが多い。

しかしこの小説の場合、最新技術(当時)の時代のさらに未来から見直す形なので、客観性がある。

しかも主役は老人(なにげに珍しいキャラ設定な気が)。

なので当時の思い出を混ぜ込んでくることもあるのだ。

客観性も主観性も担保できる、うまい状況設定だと思える。

熱のこもった架空レビュー 変わらない人のサガ

しかしうまいのは状況設定だけにとどまらない。

そこを踏まえた、「架空のゲームレビュー」が本当に面白い。

レビューの多くは、最新技術をゲームに活かしたものの、社会状況などによって失敗してしまったゲームが対象だ(いわゆる普通のクソゲーではない)。

その技術の紹介と、失敗に至る過程で、人間の創意工夫の素晴らしさと、それでも変わらないトホホな部分を、余すところなく表現している。

 例を挙げるならやはり一話だろう。

VRを使って沖縄の小さな町を再現した恋愛ゲームが題材だ。

まずこのゲーム(キミにキュン!人工ヒメゴコロ)、再現の技術力や恋愛相手の魅力などにおいては、断じて失敗作ではない。

ではなぜ失敗したのか。

この当時のVRは酔ってしまうという技術的な課題があったためである。

しかしゲームとしての出来は良かったため、頭を柱にくくりつけてVR酔いを軽減するという無茶な対抗策に出るユーザーが続出。

それを伝える社会の無理解。

そして、「VR酔いのハンデがあってもプレイするものがいる」と気づかれたことによる、VR恋愛ゲーム戦国時代。

主人公の時代では、それはVRポルノに活かされている。

この濃い顛末を、まああまり分かりやすい文章とはいえないがわかるように書いている筆力がすごい。

こうした力の入った架空レビューが、Kindle版現在で21話掲載されている。

ドローンや人工知能、遺伝子操作と言ったトピックが満載で、どれも納得行くような形でゲームに織り込まれている。

しかしその、力の入ったレビューは、この作品の一方の顔(表の顔)でしかない。

ダークサイドオブザムーン

うまくいく連載というのは、序盤に気を使う。

自分が今も好きなP2! という卓球漫画は、序盤は気弱で虚弱でなんかかわいい男の子であるヒロムという、主人公の設定で引っ張り、

中盤から普通にヒロムも戦力になっていた。

(後半は打ち切られたので無い……)

これは設定を忘れたわけではなく、虚弱は「序盤用の設定」だったのだ。

このザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームにおいても、レトロゲームのレビュー連載を進めつつ、伏線を張ったもう一方の顔がある。

それが語り手、主人公の生き様である。

ゲーム=人生 

主人公は重度のゲームフリークであり、少年時代から老年に至るまで、ゲームをやり続ける人生を送っている。

父親、母親の描写は少なく、ロボット犬がいるらしいが出てこない(レビューに犬の出番はないが……)、恋愛相手も子供もゲームで満たしているような男である。

その主人公が病に冒され、脳の移植手術を受けるかどうかという事態になっていることが、レビューの合間の雑記で明かされるのだ。

そして葛藤するが、葛藤もまたゲーム。

人工知能となったあとでゲームを楽しめるのか、その楽しみは「本当の楽しさ」なのかで葛藤しているのだ。

なんと度し難い根性。

結局サイトの10000ヒット記念雑記において(このアクセス数が妙に少ないのが面白い。そうとうコアなサイトなのだろう)、脳移植を受けることが明かされるのだが、

ハッピーに終わるかどうかわからない、しかし一歩前に進んだエンドで、なかなか好みであった。

 人生=ゲーム?

「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」というタイトル、

ノーネームを無名とか埋もれたという意味で使っているとしたら、このサイトのレビューは物議を醸した結果駄作認定されたものが多く、

箸にも棒にもかからないというわけではないので、少しズレているのではないかと思った。

しかし読み進めて作者の人生そのものが「名前のないビデオゲーム」なのではないかと疑い、

オチを読んだ今、その疑いは確信に近くなっている。

しかし人によって受け取り方は違う。同じスネアがある人には「タメ」である人には「モタり」であるように。

だからこの本を読んで確かめてみてください。

ある程度カクヨムで読んで保存用に本買うという手もあるよ。

amzn.to

kakuyomu.jp

「高い声」の「高さ」は2種類ありそげ

前置き

自分はZEP(レッドツェッペリン)が苦手で、何が苦手かというとロバート・プラントの声だったりするのだが、

彼の声はすごく高い(ように聞こえる)。

彼に限らず、高い声のボーカリストって多い。

特にハードロック界隈に多い気がするのは他の楽器が大音量だから声を張る必要があるのか、ハードロックという曲調にそっちのほうが合うからなのか。

まあそれには今回立ち入らない。

今回書くのは、「高い声」って言ったときの「高い」の意味って2種類ある気がするということだ。

1.音高 is High

一つは単純に、音高が高い場合。

ドよりレのほうが高いし、レよりミのほうが高い。

ミより1オクターブ上のドのほうが高い。

男声ボーカルの場合、ギターで言う4弦2フレットのEくらいから1弦5フレットのAくらいが出しやすいように思う(個人差あり)。

ただギターは音符に直すとき1オクターブ変えて書くことになっており、この辺突っ込むと沼にハマりそうなのであまり詳しくは書かない。

とにかく、音階上高い音を発している場合、その声は高い声と言える。

2.音色 is Bright

もう一つが厄介な、音色が「明るい」場合。

同じオクターブ上にあるドの音を発していても、クラリネットとトランペットとバイオリンでは違って聞こえるのが想像つくと思う。

トランペットの音色が「明るい」気がする。

こういう音色の違いは「倍音」によって起こる(倍音の違いが音色の違いとして感じられる)。

先に挙げた、「音階上の高さ」を決めている要素を「基音」というのだが、

基音がなっているとき、倍音も同時発生している。

例えば基音がEなら、高いE、もっと高いE、もっともっと高いE…などが発生しており、

さらにBやらGやらも発生している、カオスな状態なのだ。

で、「高い音」が多く含まれているほど音色は明るく聞こえる。

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今試しにトランペットの音色をスペクトラムアナライザで解析したものをスクショしてみた。

この画像の横軸は周波数、いわゆる高さを表しており、

縦軸は大きさを表している。

ギザギザがけっこう全帯域にまたがって入っており、とても複雑なものだということがわかるであろう。

むしろこの音がEだとか人間の耳が判断できるのがすごい。

高い vs 明るい

さて、上のトランペットは全帯域にまたがって音の山があった、つまり、高い帯域にも山があるので、明るい音色・高い音色に聞こえる。

フルート…は元の音域が高めなのでクラリネット、まあ一般的に木管楽器はもうちょっと高い帯域の山が少なく、暗い音色・低い音色に聞こえる。

トランペットで低い音程、クラリネットで高い音程を出すことは可能なので、低く明るい音、高く暗い音というのもありえてしまう。

明るい暗いの対立軸で話せば誤解は少なくなるのだが、高い・低いの対立軸で語ってしまうと、音色が高いのか音高が高いのかわからなくなるので誤解を招きかねない。

でもロバート・プラントとかを評して「明るい声」とは言いづらい気がするし、何か表現上の工夫が必要そうな気がする。

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(レビュー) HELLSING / 平野耕太

唐突にヘルシングが読みたくなってKindleまとめ買いしてしまった。

今(2017/10/09現在)ちょうどAmazonポイントもついてたしさ…。

 

[まとめ買い] HELLSING(ヤングキングコミックス)

 

んで3時間くらいかけて一気に読んだ。幸せ体験だったわ…。

 

事件が始まって終わる物語+@

読み返してみて、連載中は長丁場だったので把握しきれなかった部分が多々あった。

特に連載全体の構成がリアルタイムで読んでいたときは見えてなかった。

このマンガは、「少佐による通称『飛行船事件』が始まって終わる物語」だったのか。

いや気づけよって感じだけど、冒頭の婦警が吸血鬼になる事件とかは単なる「ヘルシング機関の紹介」ではなく、飛行船事件の立派な前触れだったのだ。

伊達男との戦いやリップヴァンウィンクル戦も、「いろんなシリーズがある中の一つ」という側面を持っていながら「飛行船事件」の中でも有機的に意味を持っていた。

例えばリップヴァンウィンクル戦は、よくある「敵組織を一人ずつ潰していく」展開という側面も持っているが、同時にアーカードを海の上に釘付けにする作戦であり、リップヴァンウィンクルは負けるものの釘付け作戦自体はハマっていた。

最後のみ30年後が舞台ではあるものの、基本的には少佐が描いた絵の、額縁の中でこのマンガは進められていたのだ。

これはもちろん構成力が必要なことだが、同時に一つの事件からいろんな描写を顕現する筆力も必要であったろう。

気づかないでごめん。

味方が最強な物語であり、敵役が勝利する物語

主人公のアーカードは戦闘では敵なしの存在である。

本人が強い上に倒して血を吸った敵の能力や記憶を自分のものにできる。

そんなの勝てないだろ!

最後らへんで示唆されているが、大軍勢でアーカードを追い詰めたとしてももし撃ち漏らしたら大軍勢の死体の血を吸ってパワーアップする。

確実に殺しきらない限り、パワーアップさせてしまう危険もあるのだ。

そんなのどうしようもないだろ!

実際飛行船事件では371万人犠牲になったことになっており、事件後のアーカードの中には342万人の命があったことになっている。

(誤差の30万人ほどはロンドン以外にいた想定だろうか)

つまり飛行船事件によって、アーカードは342万人ぶんの血を吸ってパワーアップする恐れもあったのだ。

そんなむちゃくちゃな強さを持つアーカードを静かに網の中に入れていったのが少佐である。

詳しくは書かないが、少佐は一応目的を達成した。

以上、この物語からは2つのチャレンジがあることがわかる。

一つは味方が最初から圧倒的に強いこと、もう一つは敵役が勝利する物語であること。

前者はバトルの緊張感を削ぎかねないし、後者は読者ががっかりしかねない。

しかし結果はめっちゃ手に汗握ったしがっかりもしなかった。

恐るべしヒラコー

サブカルネタの万華鏡

まず主人公のアーカード自体が、明確に「吸血鬼ドラキュラ」の敵役だったドラキュラ本人であると設定されている(アーカードアナグラム)。

さらに「吸血鬼ドラキュラ」のほうでドラキュラを打ち倒したヴァン・ヘルシング教授が、現ヘルシング機関の当主であるインテグラヘルシングの祖先であるとされている。

これを代表に、元ネタがある描写やキャラクターが多いのがマンガヘルシングの特徴である(リップヴァンウィンクルとかもそう)。

人気キャラのアンデルセン神父はヴァチカンに属しているのだが、主たる舞台であるイギリスにヴァチカンのキャラを絡めるのに際し、アイルランドを持ってきたりするあたりなど、よくできてるなー! と語彙力を失って感心してしまうほどだ。

そのヴァチカンにあることになっているイスカリオテ機関だが、これはどうも平野耕太の過去作からの客演(そのわりにはどっぷり出てきているしキャラが死ぬ)であるらしく、作者の知識と嗜好と経験を思いっきりつぎ込んで10年間ゆっくり書き進めたのが「HELLSING」であると言えそうだ。

濃いセリフ濃い絵柄濃い描写

セリフ回しは、あの有名な「諸君私は戦争が好きだ」に代表されるように巧みかつキャラが立っている。

絵やコマ割りなども、これは新作のドリフターズのほうがちょっと上かなと思いつつもいい感じ。演出力がすごい。

アーカードの術式が開放されたときに出てくる模様? など、「鋼の錬金術師」に近いセンスを感じる。

ハガレンも画力というよりは演出力に秀でた絵描きさんだし、だいたい同じころの連載だったと思うのでなにかつながりがあるかもしれない。

(敵方の遠大な計画に主人公が巻き込まれるという基本構図が似ている気もする。ハガレン読みたくなってきた)

残念な点

残念な点はあまりないのだが、しいて言えば新米吸血鬼であるセラスが、「(夜の住人である吸血鬼に対し)夕方をおっかなびっくり歩いているが、それでいいのかもしれない」という立ち位置が好きだったのに、

作中で初めて血を吸って本格的に吸血鬼になったあとはその「夕方をおっかなびっくり歩く」セラスという価値観があまり尊重されなかった気がする。

でもその初めて血を吸ったシーンは熱い熱いシーンなので許す(何様)。

まあその点も含め、描写不足なところは散見される。

が、それもまた「飛行船事件」という額縁にフォーカスした部分と絡み、物語に深みを与えていると言えなくもない。

総評

今回は絶賛だった…。読んだばかりなのもあるかもしれないがこの物語は絶賛されるに足るよ。

 

【レビュー】The Beatles / Please Please Me

レビューコーナー開始

突然だがレビューコーナーをスタートする。

ブログネタは多いほうが良いのだ。タクティクスオウガ日記も忘れてないよ!

初回はビートルズのデビュー盤で、気が向けばビートルズを発売順にレビューするしそれと同時進行で他の音楽とかゲームとか書籍もレビューするつもり。

1.I Saw Her Standing There

1.2.3.4! というカウントからスタートする。

このカウントから始まるのが、掛け声やノイズなどを音楽に取り入れていったビートルズを象徴しているなあと思う。

曲調は典型的ロックンロールだがややワルな雰囲気がある。

このあたりロカビリーからの影響もうかがえる。

それでいてサビ(コーラス)部は非常に爽やか&ポップなのがまたビートルズらしい。

2. Misery

1.に比べポップスよりで切ない曲。

特に冒頭はピアノで、今はともかく当時としてはアルバム内での落差が激しい。

ただテンポはやや遅めロックンロール(マージービートっていうのかな?)で、現代の曲だったらもうちょっと落としてミディアムテンポの曲として演奏していた気がする。

3.Anna (Go To Him)

カバー曲。当時はアルバムにカバーを入れるのは当たり前のことだったらしい。

そしてビートルズのカバーは概ねいい感じ。

自作に比べ曲のことを客観的に分析できているのかもしれない。

この曲の聞き所はジョンのボーカルとリンゴのドラムで、

ボーカルはこの曲調(ゆったりしたR&B)に合わせてソウルフルなものに。

ドラムはハイハットのペダルを踏むテクニックや、フィルインでハネるクセなどリンゴのプレイスタイルが色濃く出ている。

4.Chains

これもカバー曲。そしてジョージのボーカルの初お披露目。

ジョンとポールという作曲者としてもボーカルとしても個性を放っていた二人に比べ、作曲も歌も遅咲きのジョージだが、この曲のボーカルはなかなか。

曲調は軽快なR&Bといったところ。

5.Boys

ジョージに続いてリンゴが初ボーカルを務める曲。

リンゴ=癒し系のイメージはこの時点ではなく、なかなかハードな曲を割り当てられている。

この曲は分類すればドゥワップになるか、このアルバム、現時点ではロックンロールやロカビリーの流れもあるにはあるがブラックミュージックな曲調が多い。

6.Ask Me Why

スイートなポップス。

2.と同様、もっと遅いテンポが似合う気がするがロックンロールの影響か早めになっている。

しかしながらこのテンポでの甘いバラードもいいものだ。

7.Please Please Me

タイトル曲。

ロックンロール的なテンポやアレンジとポップス的な展開のあるコード進行という、初期ビートルズのイメージそのままの曲。

最初はテンポが遅かったけれどプロデューサーのジョージ・マーティンのアドバイスで早くした、という小ネタがある。

遅いバージョンならAnnaのアーサー・アレキサンダーレイ・チャールズのような雰囲気だっただろうか。

早くしたのはある種エポックメイキングで、今後のビートルズはこの曲調を続けていく。

またジョージ・マーティンとの関係性もよくなったらしいのでその意味でもこの曲は重要。

そんな重要さとは関係なく、聞いていて気分の高揚するいい曲でもある。

8.Love Me Do

迷デビュー曲。

デビュー曲のわりに地味として知られる。

おそらく展開の少なさがブルースを予感させ、その割にポップなメロディがついているので「どっち付かずな地味さ」と捉えられたのだと思うが、

ビートルズ流のブルースをやったらこうなったとも解釈でき、自分としては結構好きな曲。

9.P.S. I Love You

ボーカルはジョンもポールもそれなりに活躍しているが、おそらくポール主導だと思われる曲。

曲調の甘さポップさもそうなのだが、ポール独特の歌詞のストレートじゃない感じ(この曲の場合、P.S.を使ってI Love Youをごまかしている)がそんな気がする。

ハモリが好きな向きには気に入ってもらえるかもしれない曲でもあるが、自分はハモリあんま好きじゃない。

10.Baby It's You

再びカバー曲でソウルフル路線。

ジョンのボーカルが素晴らしいのもAnnaと共通。

ジョージと思われる低音ギターとジョージ・マーティンと思われるピアノのユニゾンという、後につながる音作りの工夫も見られる。

たぶんミックス段階でリバーブ成分が入ったり消えたりするのでなんか聞きづらい。そこが残念。

基本的にはAnnaより好きなのだが…。

11.Do You Want To Know A Secret?

ジョージ曲。この時点ではジョージは曲作りをしておらず、レノン=マッカートニーから提供された曲を歌っている。

カバー曲が良い理由に客観的になれたからだと書いたが、それはジョージ曲にも言え、なかなかアレンジが凝っている。

渋いバラードと見せかけて軽快なポップスになるオープニングが好例。

12.A Taste Of Honey

カバー。渋いバラード。

ポールのボーカルはいいのだが、ちょっと渋すぎ…。

なにげに3連符系の曲はこの曲のみかも(ハネている曲は多いのだが)。

サビ(コーラス)では多重録音もされてより分厚くなっている。

13.There's A Place

Please Please Meと同様、ポップな曲をロックな曲調でやった感じであり、

またアルバム終盤恒例のジョンのシリアスな面が出た曲である。

しかしAメロ(ヴァース)があまりに単純すぎてその単純さが古さにつながっている気がする。

アレサとかJBとかそういう歌手ならこういうヴァースでいいのだが、ビートルズ風の甘いハモリではなんか合ってない感がある。

14.Twist And Shout

カバー曲。最初からジョンの煽るようなボーカルが全開で非常に楽しい。

ジョンが暴れまくる後ろでポールとジョージはきれいなコーラスをしており、そのギャップもまたいい。

リンゴはリンゴでこのアルバムベストとも言えるドラミングをしている。

ブリッジ部の盛り上げ方といい、ときどき入るフィルインといい最高。

総評

ビートルズのデビュー盤であり、今だったらスタジオライブとでも呼ばれていそうなほぼ一発録音のアルバム。

一発録音なのはビートルズのライブの勢いをパッケージングしたかったからだと聞いており、後にコンセプト・アルバムで人気になるビートルズだが(まあこの時点で人気なのだが)、

ある意味デビュー盤からコンセプト・アルバムといえるほど目標が明確な作り方をしている。

一発録音の恩恵として、演奏(特にボーカル)が素の状態で録れている。

特にジョンは加工ボーカルが好きなので、素のボーカルは少ない。

素のジョンのうまさを堪能するにはこのアルバムのAnna, Baby It's Youがいいだろう。

曲作りにおいてはまだ夜明け前といった感じで、

ビートルズ独自のポップなメロディ&コードをうまくアレンジとして落とし込めてない感が数曲で見受けられる。

Please Please Meの成功がこの問題の解決に勢いを与えてくれるはずなので、次のアルバムでは期待しよう。

コンテンツは誰のものなんだろう たつき監督けもフレ降板に際して

前置き

けものフレンズアニメ版のたつき監督が監督から外れた(外された)らしい。

b.hatena.ne.jp

まだ情報が足りないので、このこと自体については結論を急ぎたくない。

でも気になるので、一般論としてコンテンツは誰のものなのか書いてみようと思う。

コンテンツホルダー候補

  • 原作者

  • 作者(二次創作以降)

  • 著作権

  • ファン

ファンは置いといて、原作者と作者と著作権者は似たような概念だ。

そこでまずそれらを区別してみよう。

原作者と作者と著作権

例えば、Aさんの作品が大好きなBさんが、その作品の同人誌を書いたとする。

この場合Aさんが原作者でBさんが二次創作をした作者だ。

ところでAさんはC社を通じて作品を発表していたので、著作権を持つのはC社だったりするかもしれない。

この場合C社が著作権者だ。

この間、「こち亀」のコマをコラージュしたツイートを美術館の人が載せて物議を醸してたが、

こち亀」でいうと

となる。

美術館の人は(それとクソコラグランプリしていたほとんどすべての人は)作者であっても、著作権者や原作者ではなかった。

場合によっては、原作者で作者で著作権者な人もいるだろう。

さらに言うと

二次創作を元に三次創作が行われたりした場合、作者であり原作者でもあるということもありうる。

ラヴクラフト」作品をもとに「ダーレス」さんがまとめ上げたクトゥルフ神話、をもとに誰かがさらに二次創作した場合を考えてみよう。

ラヴクラフトから見たラヴクラフトは自分自身、

ダーレスから見たラヴクラフトは原作者、

誰かから見たダーレスは原作者

誰かから見たラヴクラフトは原作者の原作者、

となる。

どの作品を元にして見るかで、原作者や作者の立場は変わる。

さらにさらに言うと

秋本治さんはパロディが好きだ。

山上たつひこ」っぽいペンネームを使ったり、「ゴルゴ13」っぽい演出をしたりする。

こち亀」が200巻あるとすると、1巻ぶんくらいはゴルゴでできてそうな気がする。

パロディまで行かなくても「影響」というやつもある。

初期の「ビートルズ」はけっこう「エヴァリー・ブラザーズ」っぽいし、他にも影響元らしきものはたくさんあるのだ。

巨人の肩

オリジナリティの塊のレノン/マッカートニーでさえけっこう影響を受けている。

果たして完全オリジナルなんて存在するんだろうか。

ニュートン」は光学やら天文学やら物理学やら数学やらで革命を起こした人だが、自分は巨人の肩の上に立っているにすぎない、というようなことを言っていたらしい。

著作権はシンプル

影響やパロディやN次創作の網の目のようになった作者-原作者ラインに対し、

著作権者」という存在はシンプルだ。

クレジットを見て載っているのが著作権者だ。ちゃんと処理していれば。

著作権者は作品によって収益を得たりできるし、作品を改竄されない権利を持つ(こち亀のコラの件はここに引っかかった)。

法的には作品は著作権者のものだ。

一方で

「作品はファンのもの」という意見もありうる。

自分としては「そうではない」と思う。

作品をコンテンツとして完成させることができるのはクリエイターのみだし、その点で「作者」が作者だ。

でもなんていうかな、価値ある作品というものがあったとして、その価値を受容するものがいて初めて価値は完全になると思う。

ファンは自分としてはコンテンツの保持者ではないが、コンテンツを全きものにする事ができる存在として無視して良いものではないと思う。

さてさて長かった

これら全部を前提として一般論を言う。

作品は誰のものか? という問題は非常に複雑で、いろんな人が絡み合っている。

よって

  • 作品を生み出したり育て上げたから、このコンテンツは作者や原作者のものだ
  • 作品の権利を持つから、このコンテンツは著作権者のものだ
  • 作品は自分たちのためにあるように見えるから、このコンテンツはファンのものだ

とかいう意見はどれも危うい。

間違ってはないかもしれないが、反発を受けることにはなるだろう。

で、たつき監督の件

たつき監督の件はおそらく、「著作権者」が他のコンテンツホルダー候補の立場を無視しているととらえられ、反発を受けたんだと思う。

まだ情報が少ないので何があったのかわからないが…

少なくとも「作者」に「残念」な感情を与えることは正解ではなかったろう。

今後うまくことが運ぶことを祈る。

とりあえず今日はこれで。

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