メロディへのコードつけのちょっとしたコツ――選択肢は2択持っておく(作曲)

例えば、ドレミーという単純なメロディがあるとする。キーはCメジャーが一番わかりやすいのでCメジャーとする。

そして、コードをつける。ただしドレミーのドの部分のコードはCというのは分かっている。そしてミの部分でコードを変えたい気分だとする。

つまりCから行けるコードを探ればいいわけだ。

 

経験のある人はわりとすぐにリストアップできるだろう。Am,Em,Fmaj7あたりが真っ先に候補に上がりそうだ。でも、ここでは初心者の気分で、どのコードがミにうまく馴染むかわからないとする。

そこで使えるのが、「2択」と名づけた方法。例えば、DmとEmのように、ダイアトニック上で並んだコードを2つ試してみるのだ。

 

Dmにとって馴染む音は、まずコードトーンであるレファラ。Dm7ならレファラド。

Emにとって馴染む音は、まずコードトーンであるミソシ。Em7ならミソシレ。

この2つをトライアドのほうで試せば、レミファソラシが揃う。マイナーセブンスならド(Dm7のセブンス)も加わり、ドレミファソラシの長音階の音すべてが揃う。

 

Dm7とEm7だけでは例として不安なので、FとGで試そう。

Fにとって馴染む音は、まずコードトーンであるファラド。Fmaj7ならファラドミ。

Gにとって馴染む音は、まずコードトーンであるソシレ。G7ならソシレファ。

残念ながら、ミの音は普通のトライアドのコードトーンには入っていないが、4和音なら対応できるようだ。

FとGは比較的Fmaj7とG7にしても違和感が少ないので、この欠点は傷は浅い(勝手に言う)。

 

次、GとAm。

Gに馴染む音は、まずコードトーンであるソシレ。G7ならソシレファ。

Amに馴染む音は、まずコードトーンであるラドミ。Am7ならラドミソ。

これならOK。

 

つまり、たいていのメロディには「連続するダイアトニックコード2つを試してみる」ことで対応できる。

何故かと言うと、いわゆるダイアトニックコードは音程をドミソシレ……、と1個飛ばしで積み上げて作っている。だから2度上なり下の(ここでは上の)レファラドミ……、の和音との2択ならば、ちょうど穴を埋める形で、すべての音程が揃うのだ。

 

例では非常に単純なメロディ「ドレミー」で試したから、この方法の利点がわかりにくい感じになってしまったが、メロがもっと複雑になってくると合うコードがすぐにはわからないかもしれない。

あるいは、鼻歌ふんふんでメロディをつくっていると今歌っている音がどれなのかわからない。でもコードはつけたい。そんな時もあるだろうたぶん(自分はよくあります)。

そういう時はなんとなく選んだコードとその隣り合ったコードで2択にする。だいたい合うのが見つかる。

 

応用で、G7とFonGの2択というのもわりとやる。G7とFonGは、かたやG系、かたやF系(ただし分類はドミナント)だから、かなり広い範囲の音をカバーできる。

唯一、ミだけをコードトーンでカバーしていないが、ミの音でもわりと大丈夫だと思う。

 

また、メロディがブルージーなときはBbとAbの2択というのも面白い。

 

ここまでコードトーンにこだわってきておいてなんだが、別にメロディとコードがぶつかっても悪いわけじゃない。この間ディランの楽譜を見たら、メロディにナインスやシックスの音をうまく使っていて驚いた。ぶつかってても感覚的にOKならOK。そのことは忘れないようにしたい。

この作品がなかったらどうなっていたか

ツイッターハッシュタグに「#この作品がなかったら今の自分は存在しなかったと言っても過言ではない作品晒すべし」というのがあったから調子にのっていっぱい書いた。

それを解説するよ!

ズッコケ三人組シリーズ(那須正幹)がなかったら

ズッコケ三人組シリーズは図書館にも図書室にもあった。図書館はともかく、図書室にあるのは珍しい。他には明智小五郎シリーズくらい。

ズッコケは当時出てたのは全部読んだ。子供のころに本を読むことで基礎体力というか本耐性というかが身についた。

なかったら:あまり長文が読めなかった

つきのふね(森絵都)がなかったら

たぶん小学生終わりから中学生初めくらいに出会った。森絵都の特徴として、アウトサイダーにやさしい。西原理恵子とか相川有にも通じる感覚なので勝手に女性作家特有だと思っている。

とにかく、つきのふねにはアウトサイダーたちの儚くも美しい絆がある。不公平を嫌う価値観が形成されたと思う。

なかったら:贔屓野郎だった

指輪物語(トールキン)がなかったら

ビートルズと並んで『なかったら』の社会的影響が大きそうだが、個人の影響に限って話をする。

指輪物語というかトールキン神話に現われるのは繰り返す歴史というモチーフ。人間は歴史の中の踊り手として扱われる。おかげで人間を突き放してみるようになったんじゃないかな。

なかったら:近視眼的だった

科学エッセイシリーズ(アシモフ)がなかったら

確かロボットシリーズを読んだあとについでといった感じでエッセイも読んだのだが、こっちにはまった。アシモフの語り口の特徴は、『そもそも』の部分から話を始めること。そして難しくない文章でも、科学的態度を忘れないこと。ものを見る『態度』に影響を与えられた。

なかったら:アホだった

インマイライフ(ビートルズ)がなかったら

最初に買った洋楽CDがビートルズの『ラバー・ソウル』で、その中で一番気に入ったのが『イン・マイ・ライフ』。つまり音楽人生の原点とも言える作品で、ドラムのパターンとか今でも『この感じ』を目指すことがある。

なかったら:今と作曲の作風が違う

バラッドオブシンマン(ディラン)がなかったら

ビートルズからしばらく経ってディランも聞いてみた。ディランで特徴的なのは『対比』。コードが動いてもメロディは同じ所にとどまる(ライク・ア・ローリング・ストーン参照)という意味での対比の効かせ方もあるし、歌詞でも決めの一行は同じで底に至るまでが違う、という対比の効かせ方もある。どちらも、動かない部分を作ることで動く部分に目が行く、と同時に逆も起こる。そういうテクニカルな面で影響を受けた。

なかったら:今と作曲力作詞力が違う

オープンDチューニングのトリセツ(ギター)

最近ハマっているアプローチが、開放弦を鳴らしっぱなしにしながらハイコードをリズミックに弾く弾き方。

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例えば上のような押さえ方。◯のついた開放弦(A,E)と△も一緒に(低いE)ならすと全体でA(omit3)めいた雰囲気がする。そこに5,4,5と書いた部分(Emの構成音)を加えるとAのセブンス系列のブルージーでオシャレな音になる。この押弦部分をリズミカルに弾いたりブラッシングしたりするわけだ。


で、せっかく開放弦を使うのでオープンチューニングを試してみよう、とまずはオープンGチューニングを試した。

そして意外なことに気づく!

1,5,6弦を開放のまま、2-4弦でリズム弾きをする場合については、スタンダードチューニングもオープンGも変わらない

そういえばいわゆるGフォーム

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の場合も、2-4弦は開放だった。つまり、もともと2-4弦はGの和音の構成音であった。

だからオープンGにしても、2-4弦の並びは変わらない。よって、2-4弦を使ったテクニックはそのまま流用できる。

これはいいことを知った。

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(上:同じフォームのフレット違いが通用するの図)


でもそれじゃああんまり劇的な変化は訪れないなあ、ということで今度はオープンEにしてみた。

オープンEの場合も、例の並び…スタンダードで培ったフォームがそのまま適用できる弦の並びは存在することが判明。

それが3,4,5弦だ!

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3弦=3度、4弦=ルート、5弦=5度という、3R5の並びがスタンダードチューニングでの「Gメジャーから見た」2,3,4弦と一致。

つまりスタンダード/オープンGで2-4弦でやれていたことはオープンEでは3-5弦でできる。


喜んでいろいろと押さえ方をいじっているうちに、オープンEは10Fあたりに美味しい部分があることが判明。

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(上:10Fあたりに重要げな音がたくさんある図)

それならチューニングをオープンDにしてしまって、「美味しい部分」の位置を調節しよう。

というわけでオープンDに辿り着いた


オープンDでは、オープンEと同様、3-5弦でコードフォームを作る奏法が可能。

さらに、キーをEにすることで、開放弦と2Fを行ったり来たりすると先の「重要げな音」を簡単に出せる。

これはもう、オープンDにするっきゃないですよ。

というわけで次の曲はきっとオープンD。

要素の数だけ楽しみがある 例えば小説について(小説)

自分の過去のツイートを見返して悶絶してたら、小説の魅力について語ってるのがあったのでふくらませてみる。

まず言いたいのは、小説にせよ何にせよ、魅力の源泉は一つじゃないということ。もしあるコンテンツがAとBによって構成されていたら、Aも魅力になりうるしBも魅力になりうるし同時に魅力を放つことだってありうる。

つまり、小説の「要素」を数え上げることで小説の魅力を挙げたことにもなるはずだ。

というわけで数え上げてみよう。

1.物語

小説には物語が欠かせない。もし「これってどんな小説?」と聞かれたら「◯◯さんが☓☓する話」と答える人が多いし、その前に「これってどんな話?」と聞かれる場合も多い。つまりお話の筋を一番重要視するという価値観が強い。

2.キャラクター

物語らしい物語はない小説でも、キャラクターはたいてい存在する。キャラクターには「感情移入」ができる場合が多く、感情移入は魅力の大きな源。

3.設定

物語やキャラクターが存在する小説には設定も存在する。「◯◯さん」はお百姓だったり、伝説の勇者だったり、実は王族だったりする。設定は小説の世界を広げる効果があり、ifの想像や、もっといけば二次創作を活性化させる。

4.文体

小説は文章で書かれているので文体はかならずある。文体に大きく影響するのが「視点」で、主人公の視点から物事を描く小説や作者の視点から物事を描く小説などがある。文体の楽しみはそれが作りだすテンポに大きく影響される、つまり音楽に似た「時間の使い方」芸術だと思うのだけどどうだろう。

5.リアリティ

実話系の話は多い。また、実話ではないけど現実味を意識した作品ともなると大多数だ。リアリティは話の筋が自然だということにもなるし、ゴシップ的な、知っている物事の新たなる側面を知るという興奮もある。

6.世界観

設定とは関連しているが少し違って、ものの見方。例えば単純明快でない筋の話を書く作者は複雑な世界観をもっているかもしれない。

作者のものの見方を推察しなければならないので、たのしむのは難しいが、作者が親密に感じられるという喜びがある。

7.知識

特にリアリティ重視の話は、読んでいると雑学が身につくことが多い。それ自体が喜びの対象になることもある。

 

こういった要素(他にもあるかも)で小説というのはできており、小説の楽しみ方は人それぞれ違うということが分かる。だから例えば、楽しめない小説があっても人が楽しんでいるという可能性は十二分にあるので、簡単にダメだとか言わないようにしましょう(←これが言いたかった)。

ブルーススケールのダイアトニックコード?(作曲)

前の記事の続き。

ブルーススケールというスケールがある。その名の通り、ブルースで使われるスケールで、普通のメジャースケールに半音下の音を取り入れたくて採用するようなスケール。

で、これが普通のメジャースケールにプラスする形で半音下が加わるので、音が増える。そこでダイアトニックコード(ブルーススケールの場合もダイアトニックというのかはわからないが)のための組み合わせも増える。大変。

でもやっちゃおう。というのがこの記事。


ブルーススケール:ドレミ♭ミファソ♭ソラシ♭シド(ソ♭はファ#と同音程)

ブルーススケールから作られたコード(7度は省きました):

I(ドミソ),Im(ドミ♭ソ),

II(レファ#ラ),IIm(レファラ),

▽III(ミ♭ソシ♭),▽IIIm(ミ♭ソ♭シ♭)

IIIm(ミソシ),

IV(ファラド),

+IVm-5(ファ#ラド),

V(ソシレ),Vm(ソシ♭レ),

VIm(ラドミ),

▽VII(シ♭レファ),

VII(シレ#ファ#),VIIm(シレファ#)

 

IIや+IVm-5などを長調の曲で使いたいときに裏付けっぽいものができるので、気分がイイです(それだけ)

メジャースケール以外のダイアトニックコード(作曲)

今回はダイアトニックコードについて。

しかしダイアトニックコードについて語るにはスケールについて語らねばならない。まずスケールの説明をしようと思う(素人ながら)。


現在、1オクターブの中には半音違いの音が12個あるが、12個をテキトーに使用しているだけではいい感じのメロディにならない。普通、スケールというものを「想定」して次の音を選び出す。

スケールの中で一番身近なのがドレミファソラシドのメジャースケールで、ドレミファソラシドの音階を行ったり来たり、跳躍したりしてメロディを作るのが一般的だ。

メジャースケールを使った曲は長調とも呼ばれて、普通に使えば明るいような感じになる。長調に対するに短調という言葉を聞いたことがあるかもしれないが、この短調がマイナースケールにあたり、ドレミ♭ファソラ♭シ♭ドで構成される。


ダイアトニックコードは、このスケールの音から選んだ音程で作った和音を指す。

和音は普通、1度(主音)、3度、5度(と7度)で作られる。例えば、ド(1度)、ミ(3度)、ソ(5度)、シ(7度)と積み上げた和音、「Imaj7」がある。

メジャースケールは7音あるので、ダイアトニックコードも7つ存在する。

Imaj7(ドミソシ),IIm7(レファラド),IIIm7(ミソシレ),IVmaj7(ファラドミ),V7(ソシレファ),VIm7(ラドミソ),VIIm7-5(シレファラ)の7つが、メジャースケールに対応するダイアトニックコードとなる。


曲中でのメジャーコードやマイナーコード、あるいはマイナーセブンス♭5コードの使い分け方が分からない、という場合があるが、実際には使える音を最初に決め打ちして、そこからコードを導き出しているわけだ。


んで、今回の記事ではメジャースケール以外のダイアトニックコードを書き出してみようと考えた。前置きが長かったけど。

何に使えるかというと、実は性格の近い調のダイアトニックコードは、元の調のダイアトニックコードと混ぜて使える。そういうコードはある種のアクセントになる。

だからいろんな調のダイアトニックを把握しておくことで、普通のメジャースケールで曲を書いてるときに混ぜ混ぜする選択肢が増える。というのが今回の目的。


まずはマイナースケール。メジャースケールに次ぐ人気の調……、というか、実質メジャースケールかマイナースケールでたいていの曲はできている。

マイナースケール:ドレミ♭ファソラ♭シ♭ド

マイナースケールのダイアトニックコード:Im7(ドミ♭ソシ♭),IIm7-5(レファラ♭ド),▽IIImaj7(ミ♭ソシ♭レ),IVm7(ファラ♭ドミ♭),Vm7(ソシ♭レファ),▽VImaj7(ラ♭ドミ♭ソ),▽VII7(シ♭レファラ♭)


と、ここで、実はマイナースケールには他にもう2種類ある。和声的短音階旋律的短音階だ。

両方とも、普通のマイナースケールには存在しない、♭がつかないシの音を取り入れるために使われる。

和声的短音階:ドレミ♭ファソラ♭シド

和声的短音階のダイアトニックコード:Immaj7(ドミ♭ソシ),IIm7-5(レファラ♭ド),▽IIImaj7aug(ミ♭ソシレ),IVm7(ファラ♭ドミ♭),V7(ソシレファ),▽VImaj7(ラ♭ドミ♭ソ),VIIdim(シレファラ♭)

旋律的短音階:ドレミ♭ファソラシド

旋律的短音階のダイアトニックコード:Immaj7(ドミ♭ソシ),IIm7(レファラド),▽IIImaj7aug(ミ♭ソシレ),IV7(ファラドミ♭),V7(ソシレファ),VIm7-5(ラドミ♭ソ),VIIm7-5(シレファラ)


これらのダイアトニックから「借りてくる」ことで、長調の曲の中でもIVm7,▽VImaj7,▽VII7などが使えることになる。


……結構長くなったので続く!

歌詞作りについて・S/N比の高い歌詞(作詞)

前回のブログ記事(

良い文章の書き方なんて難しすぎるから俺得な文章の書き方ぐらいで行くことに(漫画・小説) - ミキリハッシャブログ )では、テンポのいい文章を書くためにはという文脈でノイズを払う重要性を書いた。

作詞においても、ノイズの混入を防ぐという態度は重要、というか作詞においてこそ重要だと思うのでその辺を書いていこう。


そもそも自分が曲を聞くときに、歌詞がどのような役目を果たしているのか考えてみる。

曲の世界観の醸成。ある。

メッセージの訴求効果。それもある。

あるが一番の役目は、「響きが単調になるのを防ぐ」ことだと思う。

DADADA...やLALALA...と、例えばボブ・ディランの語尾の使い方とを聞くと、後者の「響きそのものの味わい」が、曲にいかに力を与えているかを痛感させられる。

というわけで自分は歌詞の第一義的な要素は単に響きだという説を推します(英語わからないくせに洋楽リスナーだからってのも入ってるかもしれない)。


さて、その前提に立ってどんな歌詞がいいのか考えてみると。

まず浮かぶのが、「内容はともかく響きのよさげな言葉を並べた歌詞」だが、

違うのだ! 内容をさておいてはいけない。何故かと言うと、そこに文章(歌詞)があるのに意味がわからないと、人は「意味を気にしてしまう」からである。

この「意味を気にする」という雑念が、ノイズなのだ。


冒頭に帰って、自分はノイズの混入を防ぐ、と書いたが、「雑念」が起きるのを防ぐと書けばよりわかりよいかもしれない。

雑念の起こらない歌詞。歌詞の意味を拾うことにストレスを感じない歌詞。

それはつまり、「響き」に注力できる歌詞なのである。


ここでもう一つの極端な例、「意味を拾うことにこだわるあまり説明的になってしまう歌詞」も却下される。

響きの要素――韻律とか言葉の選び方が弱くなるからだ。もちろん、強ければいいのだけれど。


響きの要素の中には韻律というか語尾が多くを占めるが、それ以外の言葉の選び方もある。

例えば、ジョン・レノンが「I Don't Believe in Beatles」といったとき、"Beatles"は言ったのがジョンであるゆえに、単に害虫というよりも大きな響きを持つ。そういう、言ってみれば時事ネタ的な響きだってある。

とにかく大事なのは、その歌詞が持っている響きを、雑念=ノイズに邪魔させないこと。

そのためには、過度に説明的にならず、過度に抽象的になってもいけない中庸の道が、近道なんじゃないかと思う。