【レビュー】ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム / 赤野工作

前置き:レビューについて

レビューの面白いところは、レビュー対象を語っているようで同時に著者の価値観を語ってしまうところだと思う。

レビューするからには(読書感想文式のエピソード羅列を除けば)その対象を評価するわけだが、

文芸にしろ音楽にしろゲームにしろ、その「物差し」は人により異なる。

ある人にとって素晴らしいスネアドラムの「タメ」が、ある人には「モタって」聞こえたりする。

だから評価するということは、自分はこの作品をこのように評価する価値観を持っているのだよと宣言することにもなる。

人はレビューするとき、自分自身をさらけ出してしまう。

――という構造を、ものの見事に利用してみせた小説が赤野工作ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームだ。

 

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架空のレトロゲームのレビューサイト(未来版)

この作品は架空のビデオゲームのレビューサイトの記事、という体裁で作られている。

さらにそのサイトは未来に存在している(SF小説なのだ)。

んで、そのレビュー対象は(そのサイトの時代から見た)レトロゲーム

現代から見ると、未来に発売されるゲームを、さらに未来からレビューするという複雑な構造だ。

掲載されるレビューの多くは、その発売当時の最新技術をゲームに活かしたもの、しかし失敗作(だからノーネーム?)に終わってしまったゲームの評価を見直すという形になっている。

通常のSF小説だと、最新技術の開発と同時代に主人公がいることが多い。

しかしこの小説の場合、最新技術(当時)の時代のさらに未来から見直す形なので、客観性がある。

しかも主役は老人(なにげに珍しいキャラ設定な気が)。

なので当時の思い出を混ぜ込んでくることもあるのだ。

客観性も主観性も担保できる、うまい状況設定だと思える。

熱のこもった架空レビュー 変わらない人のサガ

しかしうまいのは状況設定だけにとどまらない。

そこを踏まえた、「架空のゲームレビュー」が本当に面白い。

レビューの多くは、最新技術をゲームに活かしたものの、社会状況などによって失敗してしまったゲームが対象だ(いわゆる普通のクソゲーではない)。

その技術の紹介と、失敗に至る過程で、人間の創意工夫の素晴らしさと、それでも変わらないトホホな部分を、余すところなく表現している。

 例を挙げるならやはり一話だろう。

VRを使って沖縄の小さな町を再現した恋愛ゲームが題材だ。

まずこのゲーム(キミにキュン!人工ヒメゴコロ)、再現の技術力や恋愛相手の魅力などにおいては、断じて失敗作ではない。

ではなぜ失敗したのか。

この当時のVRは酔ってしまうという技術的な課題があったためである。

しかしゲームとしての出来は良かったため、頭を柱にくくりつけてVR酔いを軽減するという無茶な対抗策に出るユーザーが続出。

それを伝える社会の無理解。

そして、「VR酔いのハンデがあってもプレイするものがいる」と気づかれたことによる、VR恋愛ゲーム戦国時代。

主人公の時代では、それはVRポルノに活かされている。

この濃い顛末を、まああまり分かりやすい文章とはいえないがわかるように書いている筆力がすごい。

こうした力の入った架空レビューが、Kindle版現在で21話掲載されている。

ドローンや人工知能、遺伝子操作と言ったトピックが満載で、どれも納得行くような形でゲームに織り込まれている。

しかしその、力の入ったレビューは、この作品の一方の顔(表の顔)でしかない。

ダークサイドオブザムーン

うまくいく連載というのは、序盤に気を使う。

自分が今も好きなP2! という卓球漫画は、序盤は気弱で虚弱でなんかかわいい男の子であるヒロムという、主人公の設定で引っ張り、

中盤から普通にヒロムも戦力になっていた。

(後半は打ち切られたので無い……)

これは設定を忘れたわけではなく、虚弱は「序盤用の設定」だったのだ。

このザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームにおいても、レトロゲームのレビュー連載を進めつつ、伏線を張ったもう一方の顔がある。

それが語り手、主人公の生き様である。

ゲーム=人生 

主人公は重度のゲームフリークであり、少年時代から老年に至るまで、ゲームをやり続ける人生を送っている。

父親、母親の描写は少なく、ロボット犬がいるらしいが出てこない(レビューに犬の出番はないが……)、恋愛相手も子供もゲームで満たしているような男である。

その主人公が病に冒され、脳の移植手術を受けるかどうかという事態になっていることが、レビューの合間の雑記で明かされるのだ。

そして葛藤するが、葛藤もまたゲーム。

人工知能となったあとでゲームを楽しめるのか、その楽しみは「本当の楽しさ」なのかで葛藤しているのだ。

なんと度し難い根性。

結局サイトの10000ヒット記念雑記において(このアクセス数が妙に少ないのが面白い。そうとうコアなサイトなのだろう)、脳移植を受けることが明かされるのだが、

ハッピーに終わるかどうかわからない、しかし一歩前に進んだエンドで、なかなか好みであった。

 人生=ゲーム?

「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」というタイトル、

ノーネームを無名とか埋もれたという意味で使っているとしたら、このサイトのレビューは物議を醸した結果駄作認定されたものが多く、

箸にも棒にもかからないというわけではないので、少しズレているのではないかと思った。

しかし読み進めて作者の人生そのものが「名前のないビデオゲーム」なのではないかと疑い、

オチを読んだ今、その疑いは確信に近くなっている。

しかし人によって受け取り方は違う。同じスネアがある人には「タメ」である人には「モタり」であるように。

だからこの本を読んで確かめてみてください。

ある程度カクヨムで読んで保存用に本買うという手もあるよ。

amzn.to

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