エド・シーランはまだ過小評価だと思う

エド・シーランとは?

イギリス出身のシンガーソングライター。

基本的にはアコースティックギターの弾き語りスタイル。

代表曲はThe A Team, Thinking Out Loud, Shape Of Youあたり。

どこが過小評価?

ストリーミングサービスでの再生数で1位を取ったり、

グラミー賞を受賞したりなど、たしかに大活躍している。

が、その評価は一般的なリスナーというか、そういう人にとどまっていて、

評論家とか同業のシンガーソングライターとか、

そういう「プロの評価」に乏しい気がしている。

評価される要素は?

一つには演奏・歌唱の巧みさ。

The A Teamの冒頭とか、デビューアルバムにしてもう美声になったボブ・ディランみたいな貫禄だし、

アコギのパーカッシブな掻き鳴らしも上手い。

さらに打ち込みとの付き合いのうまさ。

今やほとんどの音楽制作現場にPCがあり、

好むと好まざるとに関わらず、

ポピュラー音楽やるなら打ち込みとの関わりぐあいは意識しなければ(生き残るのは)難しい。

エドの場合、かなりヒップホップを吸収していると思われ、

グルーヴィな曲ではその趣味が全開。

また、スタジオ盤ではよくわからないがルーパーを使用したりもしている。

テクノロジーを積極的に取り入れている姿は好印象。

有名曲のShape Of Youはダンスホールレゲエのように思えるし、

いろんな音楽を貪欲に吸収している。

じゃあ何が足を引っ張っていると思う?

ポップすぎるのかなと。

The A Teamとか、別にストリングス要らなくねって思ったし。

アルバムもボリューミーだし、いろいろ過剰な面は散見される。

あとストリーミングで聴いてるので歌詞カードがなく、

歌詞がわからないのだがひょっとしたらそこに弱点があるのかもしれない。

いいこと歌ってそうな気はするけど。

適正な評価はどのくらいだと思っている?

ケンドリック・ラマーのDAMNはあらゆる層に響いた作品だと思うし、

エド・シーランもそれぐらいのポテンシャルは秘めていると思う。

ポップ界のケンドリック・ラマーぐらい評価されても良いんじゃないかなと思う。

まあ別にプロっぽい人の評価が必須なわけでもないけど、

なんかもったいない状況の気がするのでプロの方はもっとエド・シーラン聴いてください。

(プロがこのブログを見るのだろうか…)

いきなりすべてのモードを覚えるのは無理だからドリアンとミクソにしよう

モードって何?

ポップスやロックなど、いわゆる普通の作曲が「進行する和声」を基本にしているのに対し、

「音階、旋律」を基本にした作曲法のこと。

でいいだろうか?

「いわゆる普通」がドレミファソラシおよびラシドレミファソの2種類の(メロディックマイナーなんてなかった、いいね?)音階を暗黙の前提にしているのに対し、

モードではレミファソラシドやミファソラシドレなどといった音階も扱う。

有名なのはマイルス・デイビスの「So What」で、ここではドリアンと呼ばれる旋法が使われている。

モードのどこが良いの?

ジャズであるSo Whatもそうだし、民謡のグリーンスリーブスとかもそうだが、

独特の浮遊感を感じることができる。

たぶん体がドレミファソラシに慣れてしまって、それ以外の旋法には浮遊感を覚える体になってしまったのだ。

「いわゆる普通」のほうではコード進行による浮遊感が使われ、例えばキーがCメジャーのときにFマイナーとかB♭とかを使うと浮遊感ある。

これもドレミファソラシ及びそこで使われるコードに慣れた体に、Fm、B♭の響きが浮遊感を覚えさせているのだろう。

ただし、コードの浮遊が「ここ、浮遊ですよ!」とばかりにすごい浮遊するのに対し、モードの浮遊はもうちょっと穏やかでさりげない。

そんなわけでさりげなくトビたいときはモードが良かろうと思う。

わかった、どうしたらいい?

モードの魅力がわかったところでモードを取り入れた曲を書こうとするわけだが、

今までメジャー/マイナーの2種類だったものが突然無数になってしまってちょっとむずかしい。

有名どころに限ってもドリアン、フリジアン、リディアン、ミクソリディアン、エオリアン、ロクリアンという「教会旋法組」が6種類。

ホールトーンだの琉球音階だのコンビネーション・オブ・ディミニッシュだのと言ったその他の旋法も含めると把握するだけで大変だ。

それらの旋法について、使いやすいコード(モードでも和音は使える)、そのモードならではの雰囲気、演奏上のコツなどを覚えるのはぶっちゃけ無理。

効率よく覚えなよ

確かに一定の法則は存在する。

例えばDドリアンはレミファソラシドなのだが、これは見ての通りドレミファソラシをレから順番に読んだものだ。

ドレミファソラシで得た知識(ギターの指板上の位置など)はある程度応用が効く。

でも雰囲気とかその雰囲気を出すための演奏上の修練とかはやっぱり弾かないと無理くね?

じゃあどうしたいのさ

覚えるのをドリアンとミクソ(ミクソリディアン)に絞ろうと思う。

ドリアンはマイナーの音階の変化・ミクソはメジャーの音階の変化として捉えることができるのでマイナー・メジャーからの技術の流用もある程度できる。

そして参考曲が豊富。特にドリアンは、So Whatなどモードの代表とも言えるアレだ。

さらに(重要なことに)この2つの雰囲気が好きなような気がする。フリジアンまで行くとややアクが強いかなみたいな。

まずドリアンとミクソを練習して、他のにも興味が出たら他のを覚える、これで行こう。

「始めなきゃ、終わりっこねえです」とは指輪物語のサムの名言だった気がする(うろ覚え引用)。

ゆるもく ゆるい目標

あけましておめでとうございます

さて新年なので目標を立てたいと思う。

しかしその前にまず前年度の目標を見直そう。

プランドゥチェックアクトだ!

2017年の目標

トルストイの「文読む月日」を読む

脱落した。脱落しました。

やはり時間の割り振りが下手というか、毎日一定のタスクをこなすということができないんだなあと。

週一回ブログ更新

脱落した。脱落しました。

やはり興味の方向性を制御できてないというか、週末時間があったら他のことをしてしまうんだなあと。

月一で曲投稿

おおむねできた。

さてそれを踏まえて

毎日、週一といった周期ベースのものの考え方がまったくできないようなので、

今年は実績ベースで行く。

つまり

月一で曲投稿 → 年12回投稿

という言い換え。

さあ行くぞ今年の目標

年間12曲の投稿

正直ニコニコに対する関心は年々無くなってきているのだが、

まだ投稿をやめるという時期には来ていないと思う。

年間12曲投稿を目標の一つに。

1作アルバム作る

年間12とは別口で、アルバムを作りたい。

LANDRとの契約もしているのにあまり配信していないし、

なによりアルバムという形態が好きなので。

1つゲーム作る

自分の興味の範囲として、楽曲づくり・ストーリーづくり・プログラミング・一応イラストなどがあり、

それを最大限に活かせるのはインディゲームじゃないかと思い始めてきた。

なによりゲームも好きだし。

とりあえずツクールで何かツクりたい。

できれば:ライブする

リアルの方で自分で弾きながら歌ってみたい。

演奏・歌唱ともに地味に上達しているとは思うが、懸念は場所があるかだ。

まあなんとかなるだろう。

というわけで

今年の目標は音楽系とゲームという2ジャンルに絞ったものとなった。

どうなるだろう。どうなるんだろうね。

ロックの魔の手からギターを救うには

ギターとロックの如何ともしがたい結びつきの強さ

ギターという楽器と、ロックというジャンルは深く結びついてしまっている。

他にギターが活躍するジャンルとしてはフォーク、ジャズ、ブルース、ラテンなどがあるが、

あろうことかそれらも気を抜けばロックになってしまう。

(フォークロック、ジャズロック、ブルースロック、ラテンロック)

ジミ・ヘンドリックスは不世出のギタリストだが、

やっている音楽はけっこうブルースやソウル・R&B寄りのような気がする。

なのにロック界で王者のように言われているのを見ると、ジミヘンが例えばピアノの天才だったらどうなっていただろうと思わざるを得ない。

この記事の目的とロックギターの定義

別にロックがやりたいわけじゃないギタリストはどうやって生きていけばいいのか。

それをここから考察する。

ちなみにこの記事におけるロックギターとは、

割と歪んだ音でコードをジャカジャカとかじゃらんと鳴らすタイプが近く、パワーコード・リフ系も入る。

とにかくギターに「音圧感」があればロックの香りがするのだ。

1.ギター音量を下げる

真っ先に思いつくが、あまりやりたくない解決方法。

ギターで左右にビタッと張り付くような音圧感を出してしまうと、どうしてもロックになる。

ギター音量を下げることで、ロック以外の要素が見えてくる…だけど、

そもそもギタリストとしてのエゴを出したいからロックじゃないギタリストの生き残り方を考察しているわけで、

音量を下げるとエゴが満足してくれない。

そう、エゴはめんどくさいやつなのだ。

2.ギターを高域に寄せる

ロックといえば、リフだ。

リフは低く太い音でやるのが一般的。

例を上げればスモーク・オン・ザ・ウォーター(ディープ・パープル)。

そうではなく、高域でのプレイに寄せてみると確実にロック感は減る。

3.エフェクトをかける

例えばカーティス・メイフィールドはワウを使っていた。

モジュレーション系のエフェクトは同時に音を後ろに引っ込ませる。

ディレイやリバーブはそのまま音が引っ込む効果がある。

ロック風の音圧感を外したければ、音色面も検討すべきかもしれない。

4.アルペジオ

ロックでもアルペジオが多用されているのは確かだが、

しかしアルペジオ単体ならそれほどロック感(ギターの音圧感)は出ない。

実例に学ぼう

1.カーティス・メイフィールド

ソウルの大御所はレイ・チャールズスティービー・ワンダーのような鍵盤弾きが多いが、彼はギタリスト。

ワウなどで音を揺らすことでギターの居場所を作っていたように思う。

が、ライブ盤以外でのギターの存在感は薄め。

ギタリストとしてのエゴが…!

2.エド・シーラン

今をときめくSSW。

アコギをパーカッシブに鳴らすパターンが多い。

それ以外のパターン(例えばThinking out loud)なんかだと途端にブルース寄りになって一歩間違えばロック。

なので、アコギをパーカッシブに鳴らすというのは一つの回答でありそうだ。

3.山崎まさよし

ブルースを基調にしたJ-POP、という難しいことをやった人。

この人もアコギをパーカッシブに鳴らす。

そして忘れてはいけないのが、アルペジオの名手でもある。

「パッセージ」あたりのドラムマシンとアルペジオの絡みはコンテンポラリーというか、自分のやりたいことに近い。

結論

ギタリストとしてのエゴを捨てずにいまどきのポップをやろうとすると、

「パーカッシブなカッティング」「アルペジオ」「ワウなどのエフェクトで引っ込ませる」あたりが可能性としてあるようだ。

それらをやりつつ、ちょっと音量を下げることで自分のやりたいプレーと最近のポップを両立させたい。

DADGADのことをすこしりかいした

DADGADとは

ギターのチューニングの一つ。

いわゆる一般的なチューニング(レギュラーチューニング)は、

低い弦からEADGBEという並びで音を合わせる。

そこでDADGADはDADGADというふうに合わせるのだ。

変則チューニングの異端児

変則的なチューニングの中で、メジャーなのはオープンG,オープンDなどのオープンチューニング。

これらは解放または同じフレットをセーハしたときにちょうど協和音が出るように設定されている。

例えばオープンGなら、低い弦からDGDGBDなので、ソシレ、Gの和音が鳴る。

その観点からDADGADを見ると、全弦開放時レソラ、Dsus4がなってしまう。

つまり、すべての弦を押さえただけでは(通常の)コードはならない!

じゃあどう使うのか

変則チューニング=オープンだろうという頭で入ってしまったのがいけなかった。

DADGADは、マイナーペンタの乱れ弾きに向いたチューニングだったのである。

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これを見ての通り、DADGAD上ではルートのあるフレットとその3フレット先を弾けばマイナーペンタが完成する。

Aが2音連続している点、低い方のオクターブはGの音がない点には気をつけよう。

Aが2音連続している点はむしろ味のある演奏に昇華できそうな感じもした。

さらに今回図にしなかったが5フレットあたりのポジションもペンタに向いてる感じだった。

DADGADはむしろソリストむけのチューニングだったのだ。

とはいえ

単にソロを弾くだけなら弾き慣れたレギュラーの方がいいだろうから、

DADGADの和音感も活かしつつあいまに単音でオカズを入れるスタイルがいいやもしれぬ。

イメージ的にはニール・ヤングみたいな。

英語版Wikipediaの「List Of...」が暇つぶしにも参考にもなる

あらまし

たまたま市内の本屋さんに行ったので、

前々から気になってた「JAZZ STANDARD BIBLE」という本を買った。

ジャズセッションでよく演奏されるような曲を集めた楽譜集で、値段は200曲超のボリュームがあるが値段もなかなかごっつい。

この本について、あるいはジャズスタンダードについてはまた書く機会もあるだろうけど、

今回は別の話。

始まりはブルース

JAZZ STANDARD BIBLEがあるならBLUES STANDARD BIBLEも無いかなと思って「blues standards」でググってみた。

そこで引っかかったのがウィキペディア

List of blues standards - Wikipedia

Born Under a Bad SignやHoochie Coochie Manなど知っている曲も適度に織り交ぜられ、

でもけっこう知らない曲もあって、40曲ぐらい。

これは参考になるな…と思った。

ブルースやブルース・スタンダードについてもまた書く機会もあるだろうけど、

今回はさらにリンクを辿ってしまった。

リストのポータル

Portal:Contents/Lists - Wikipedia

リストが集められたページ。

Musical repertoire - Wikipedia

ミュージック・レパートリーと読むのだと思う。

List of J-pop artists - Wikipedia

そして日本人としてJ-POPアーティストも気になる。

読むものばかりだ!

読むと言っても

自分の英語力はかなり怪しいのだがList Of..みたいな単純なページだったらわかるし、

幸か不幸か日本人アーティストの記述は充実はしてないので何となく分かる。

これはいい暇つぶしになりそうだ。

J-POPアーティストのリストには斉藤和義は載っておらず、奥田民生山崎まさよしは載っていたが記述が薄い。

そして奥田民生から飛んだパフィーの記述がもっとも濃くてさすがはパフィーとうなった。

List of philosophies

List of philosophies - Wikipedia

哲学のリストだと思うが、ism多すぎで笑った。

ジョンレノンに笑われるぞ!

【レビュー】ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム / 赤野工作

前置き:レビューについて

レビューの面白いところは、レビュー対象を語っているようで同時に著者の価値観を語ってしまうところだと思う。

レビューするからには(読書感想文式のエピソード羅列を除けば)その対象を評価するわけだが、

文芸にしろ音楽にしろゲームにしろ、その「物差し」は人により異なる。

ある人にとって素晴らしいスネアドラムの「タメ」が、ある人には「モタって」聞こえたりする。

だから評価するということは、自分はこの作品をこのように評価する価値観を持っているのだよと宣言することにもなる。

人はレビューするとき、自分自身をさらけ出してしまう。

――という構造を、ものの見事に利用してみせた小説が赤野工作ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームだ。

 

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架空のレトロゲームのレビューサイト(未来版)

この作品は架空のビデオゲームのレビューサイトの記事、という体裁で作られている。

さらにそのサイトは未来に存在している(SF小説なのだ)。

んで、そのレビュー対象は(そのサイトの時代から見た)レトロゲーム

現代から見ると、未来に発売されるゲームを、さらに未来からレビューするという複雑な構造だ。

掲載されるレビューの多くは、その発売当時の最新技術をゲームに活かしたもの、しかし失敗作(だからノーネーム?)に終わってしまったゲームの評価を見直すという形になっている。

通常のSF小説だと、最新技術の開発と同時代に主人公がいることが多い。

しかしこの小説の場合、最新技術(当時)の時代のさらに未来から見直す形なので、客観性がある。

しかも主役は老人(なにげに珍しいキャラ設定な気が)。

なので当時の思い出を混ぜ込んでくることもあるのだ。

客観性も主観性も担保できる、うまい状況設定だと思える。

熱のこもった架空レビュー 変わらない人のサガ

しかしうまいのは状況設定だけにとどまらない。

そこを踏まえた、「架空のゲームレビュー」が本当に面白い。

レビューの多くは、最新技術をゲームに活かしたものの、社会状況などによって失敗してしまったゲームが対象だ(いわゆる普通のクソゲーではない)。

その技術の紹介と、失敗に至る過程で、人間の創意工夫の素晴らしさと、それでも変わらないトホホな部分を、余すところなく表現している。

 例を挙げるならやはり一話だろう。

VRを使って沖縄の小さな町を再現した恋愛ゲームが題材だ。

まずこのゲーム(キミにキュン!人工ヒメゴコロ)、再現の技術力や恋愛相手の魅力などにおいては、断じて失敗作ではない。

ではなぜ失敗したのか。

この当時のVRは酔ってしまうという技術的な課題があったためである。

しかしゲームとしての出来は良かったため、頭を柱にくくりつけてVR酔いを軽減するという無茶な対抗策に出るユーザーが続出。

それを伝える社会の無理解。

そして、「VR酔いのハンデがあってもプレイするものがいる」と気づかれたことによる、VR恋愛ゲーム戦国時代。

主人公の時代では、それはVRポルノに活かされている。

この濃い顛末を、まああまり分かりやすい文章とはいえないがわかるように書いている筆力がすごい。

こうした力の入った架空レビューが、Kindle版現在で21話掲載されている。

ドローンや人工知能、遺伝子操作と言ったトピックが満載で、どれも納得行くような形でゲームに織り込まれている。

しかしその、力の入ったレビューは、この作品の一方の顔(表の顔)でしかない。

ダークサイドオブザムーン

うまくいく連載というのは、序盤に気を使う。

自分が今も好きなP2! という卓球漫画は、序盤は気弱で虚弱でなんかかわいい男の子であるヒロムという、主人公の設定で引っ張り、

中盤から普通にヒロムも戦力になっていた。

(後半は打ち切られたので無い……)

これは設定を忘れたわけではなく、虚弱は「序盤用の設定」だったのだ。

このザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネームにおいても、レトロゲームのレビュー連載を進めつつ、伏線を張ったもう一方の顔がある。

それが語り手、主人公の生き様である。

ゲーム=人生 

主人公は重度のゲームフリークであり、少年時代から老年に至るまで、ゲームをやり続ける人生を送っている。

父親、母親の描写は少なく、ロボット犬がいるらしいが出てこない(レビューに犬の出番はないが……)、恋愛相手も子供もゲームで満たしているような男である。

その主人公が病に冒され、脳の移植手術を受けるかどうかという事態になっていることが、レビューの合間の雑記で明かされるのだ。

そして葛藤するが、葛藤もまたゲーム。

人工知能となったあとでゲームを楽しめるのか、その楽しみは「本当の楽しさ」なのかで葛藤しているのだ。

なんと度し難い根性。

結局サイトの10000ヒット記念雑記において(このアクセス数が妙に少ないのが面白い。そうとうコアなサイトなのだろう)、脳移植を受けることが明かされるのだが、

ハッピーに終わるかどうかわからない、しかし一歩前に進んだエンドで、なかなか好みであった。

 人生=ゲーム?

「ザ・ビデオ・ゲーム・ウィズ・ノーネーム」というタイトル、

ノーネームを無名とか埋もれたという意味で使っているとしたら、このサイトのレビューは物議を醸した結果駄作認定されたものが多く、

箸にも棒にもかからないというわけではないので、少しズレているのではないかと思った。

しかし読み進めて作者の人生そのものが「名前のないビデオゲーム」なのではないかと疑い、

オチを読んだ今、その疑いは確信に近くなっている。

しかし人によって受け取り方は違う。同じスネアがある人には「タメ」である人には「モタり」であるように。

だからこの本を読んで確かめてみてください。

ある程度カクヨムで読んで保存用に本買うという手もあるよ。

amzn.to

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