3x4と4x3 KORG VOLCAのアクティブステップ機能について

 

前説

時々掛け算の順序が話題になったりしている。

どうも順序的には 1グループ中の数xグループの数 で考えるべしという基準があるみたいで、答えが正解でも掛け算の順序を逆にして不正解になった例とかがツイッターに上がったりしている。

不正解にするのはどうかと思うが、1グループ中の数 x グループの数 という順序自体には合理性があるように思う、そんな体験をしてしまった。

 

最近自分の中で流行っているのがKORG VOLCA BEATSという機材。小さいドラムマシンで、打ち込みが強力かつ簡単なのがウリだ。音色もいいと思う。

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その打ち込みの機能の一つに、アクティブステップ機能というのがある。

デフォルトではすべてのステップがアクティブだ。16個あるステップのどこでも音を出すことができる。

しかしこのようにあるステップを消してしまうと、

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消されたステップは飛ばされる。つまり一小節に含まれる音符の数が変わるのだ。

ちょっと見づらいが鍵盤の上部のランプを見て欲しい。左から12個までのステップは明かりが灯り、4個は消えている。

この場合、一小節=12個というシーケンスになる。

ところが12個には他のパターンも考えられる。

f:id:mi_ki_ri:20170211215522j:plainこうだ。

この場合、3つのアクティブなステップ+1つの休みを4回繰り返すことで一小節が構成される。

この二つはどう使い分けるべきか?

まずデフォルト設定

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まずデフォルトの16個から行こう。

デフォルトの16個は、16分音符が16個という構成になっている。

つまり4ステップが1グループでグループが4つあるという捉え方だ。

16ビート(という言葉は和製英語らしいが)を表現するときにはこれだ。

次に4x3

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ではこちらの、左から連続で12個の場合はどうなるか。

先程のステップ4つで1グループという考えを敷衍すれば、こちらはグループが3つということになる。

最後のグループは休む。

4つのビートから1つ弾いて3つのビートになるから、3拍子だ。

これは3拍子を表すのに適したステップ設定であるといえる。

(実際には、3拍子のときはハネることが多い気がするのでまた複雑になる)

3x4

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ではこちらの、3つステップ+1つ休み で1グループを構成しているほうはどうなるか。

先程の3拍子を4x3と表せば、このセッティングは3x4と表すことができる。

一つのビートの中に3つの音符が入る、それが4回繰り返される形式。

「ズッズタッタズッズタッタ」といったハネたリズム、シャッフルを表すのに好都合なパターンなのだ。

VOLCA奥深い

このように同じ12個のステップでも考え方が違うということがわかった。VOLCA奥が深い。

ちなみに自分は当初3つアクティブ+1つ休みでシャッフルを表せることに気づかず、12個を端から並べる方式でシャッフルを打ち込もうとして間違えまくった。

機械は間違えないが、人は間違える。

だから機械を上手な設定にしておくことも大事だと痛感させられたりした。

中立は揺れ動く? バランスについて考察

バランス=人生

人生バランス。

これが自分の数少ない信条の一つである。

しかしバランスを求めすぎると窮屈になることもある。

バランスの問題点

例えば音楽は理論が大事派と感性が大事派という二つの派閥があったとして、

じゃあバランスが大事だから理論と感性の間を行こうとかそういう発想になってしまう。

感性派が強いからバランス上理論派を擁護しようとか、その逆で、感性派が強いから感性派に寄ろうとか、そういう発想も出てきてしまう。

バランス派はどこが悪かったか

ダメだ。

そもそものバランスの目的を見失っている。

バランスの目的は、一言で言ってみれば善である。例の場合いい音楽を作ることである。

いい音楽を作るためにはいい価値観が必要で、それはバランスがとれた価値観であろうということだ。

上のダメな例のダメなところは、どちらも価値観より勢力とか立ち位置でバランスをとろうとしていることだ。

真のバランスは難しい

しかし中立の価値観というのは、とがっていないだけに実は難しい。

中立的でしっかりとした価値観を立てるためには、極端な価値観の、勢力ではなく思想をくみ取らなければならない。

先の例でいえば、理論大事派はなぜ理論を重視するのか。感性大事派が守りたいものはなんなのか。

そういった点について考察しなければならない。

しかしそれをするということは、一旦理論派なり感性派に入門するということになり、バランスからは離れてしまうという懸念もある。

ヤジロベエ式バランスの取り方

この難しい状況にどう対処するか。

例えば、大衆音楽は複雑と単純をいったりきたりしているらしい。

政治も保守と革新をいったりきたりしている。

バランスをとるにはこれが参考になるのではないか。

つまり、最初から中立を目指すのではなく、その時々で正しいと思う方につく。

そして自分の立場を変える勇気を持つこと。

バランスをとるには、いったりきたりすることが必要なのではないかと思う。

ギター指板の図もサクッと描ける。そう、Adobe XDならね。

Adobe XD

Adobeが作っているデザイン用のアプリ、XDというのがある。

今ならベータ版ということで無課金ユーザーでもインストール可能だ。もしよければ。

……で、そのXDならギターの指板の図がサクッと描ける。描けた。

手順

  1. 四角を一個作り、その中に度数を表す文字を入れる。
  2. リピートグリッドに変換。
  3. ほしい数だけリピートして、いらない隙間を消す。

これだけで指板っぽいものが描ける。

あとは度数をポチポチと入れていけば、こういう

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図が完成。

度数ポチポチが面倒なくらいであっという間にできるので、フレットの図が欲しい人は試してみるのもいいのではないでしょうか。

で、指板の話

前回(最近自分の中で流行りの作曲方法、プラマイ2フレット法 - ミキリハッシャブログ)記事にした、プラマイ2フレット法からの流れで、

できるだけポジションを動かさない場合の各フレットの音が一覧で欲しくなった。

Rがルートを表す。CメジャーコードならCの音を、6弦人差し指で押さえる想定だ。

この図を見るといろいろなことがわかる。

いろいろなこと1。4弦まで使えば全部の音をルートにできる。

Cメジャーコードから始まるとして、4弦まで使うなら、

D♭、D、E♭、Eなど、すべての音が4本の指(+人差し指伸ばし)の範囲内にある。

これが何を意味するかというと、ベース音に何が来ようとポジションを動かさずに弾けるということである。

いろいろなこと2。イチロクニーゴーかイチサンヨンゴーか

イチロクニーゴーというのはよくあるコード進行で、

1 6m 2m 5と進む。

イチサンヨンゴーなら 1 3m 4 5 だ。

どちらもよく使われるコード進行だが、なにげに6弦人差し指ルートの場合、6の音が人差し指伸ばし+4弦でないと使えない。

6弦人差し指ルートではイチサンヨンゴーのほうが楽だ。こちらは人差し指伸ばしではあるが、5弦ルートにできる。

6弦から始める場合、イチサンヨンゴーの曲が増えることになるのかもしれない。今まで考えたことのない視点だ。

なお、イチロクニーゴーとイチサンヨンゴーはコードの機能としては代替できる(当然響きは違う)。

いろいろなこと3。ポジションによって出しやすい音が評価可能

弾く弦と押さえる指によってその音の出しやすさが変わってくる。

弦については、6弦がおそらくいちばん慣れていて、5弦がそれに次ぎ、4弦はあまり慣れていない。

これはコードを押さえるときとソロを弾くとき両方に関わってくる。

指については、人差し指伸ばしはストレッチになるので難しい。小指も難しいだろう。

つまり人差し指伸ばし+4弦の6の音が出しにくく、小指+4弦の▽2の音も出しにくい。

ところが▽2は6弦中指にもあるので、やはり6が一番出しにくい音ということになりそうだ。

このようにポジションによって出しやすい音が変わると思われる。

ということは逆に、出したい音によってポジションを変えるのが有効だということだ。

実は指板の図は6弦人差し指バージョンのみならず、たくさん作っていたので今度の記事で各バージョンを検討してみたい。

最近自分の中で流行りの作曲方法、プラマイ2フレット法

プラマイ2フレット法とは

プラマイ2フレット法をご存知だろうか。

ここで知っているという人がいたらびっくりするのだが、プラマイ2フレット法は最近自分が編み出したギターでの作曲方法である。

具体的には、最初に押さえたコード(なんでもよし)からポジションを動かさずに(2フレットまでなら可)パターンを作る。

プラマイ2フレット法の例

例えば、最初のコードがE9だったとする。わりとカッティング向きな押さえやすいコードだ。

f:id:mi_ki_ri:20170113215550p:plainE9の図

その場合、最初に押さえたコードのルートは(5弦の)7フレットだから、5フレット〜9フレットの間でコードのパターンを作るのだ。

さらにこの場合、ルートを薬指で押さえているから、5フレットルートを人差し指で押さえるコードならポジション移動がさらに少ない。例えばAだ。

f:id:mi_ki_ri:20170113215859p:plainAの図

(逆にルートを人差し指で押さえるタイプだった場合、次のコードを中、薬指で押さえるものにすればポジション移動が少ない。このパターンも頻出)

E9→Aと来たのでF#m7onB→E9と戻ってみよう。これを1パターンとして曲を書いていくのがプラマイ2フレット法だ。

E9--A---F#m7onB-E9
x---x---x---x
7---5---7---7
7---6---6---7
6---7---7---6
7---x---x---7
x---5---7---x

長所

この方法の長所は、何度も言うようにポジション移動が少ないことである。

このことは弾き語りをやりやすくするだけでなく、「音の高さが揃う」という利点も兼ね備える。

例えば上記のコード進行でも、一番高い音(トップノート)が7,5,7,7とあまり動いていない。

これが聞こえを滑らかにする。

また別の長所として、普通にやっていてはあまり出てこないテンションなどの響きを得られる。制限することで逆にアイディアを生み出すのだ。

短所

短所は制限があることである。これは長所でもあり短所でもある。

あまり自由奔放なコード進行は出しにくい。ジャンル的にはロックやポップスよりも、ブルースやファンクに向いている。

まとめ

プラマイ2フレット法、一度試してみるくらいならいいんじゃないでしょうか(気弱なまとめ)。

ノイズにも居場所がある音楽という世界

ノイズ=邪魔もの?

音楽の好きなところの一つは、適切に扱えばノイズにも居場所があるというところだ。
この事実ははみ出しものにとって勇気になる。

ノイズの定義

ノイズを表す言葉に騒音と噪音がある。
騒音はいわゆる、耳につくような嫌な音だ。
噪音は音高を感じられない音で、嫌だったり耳につくようだったりという要件は定義にはないようだ。シンバルのジャーンなど、楽器でも音高が分からない音はある。
そして音高を感じられるのが楽音で、楽音はノイズではない。
フルートやピアノやなんでもいいが、ドレミで表せる音は楽音だ。

ノイズを扱う成功例

しかし自分のいうノイズは噪音だけに限らない。
騒音のノイズでも、適切に居場所を与えられれば仕事をするのだ。
大胆かつ古典的な例として、ビートルズの楽曲「I Want You」におけるホワイトノイズがある。
不穏なリフを繰り返すうちに、どんどんホワイトノイズが高まっていく。
ドラムもベースも演奏のボルテージを上げていく。
そしてぶつ切り、ノイズも消えて静寂が訪れる。
自分はCDで聴いたのだが、それだと静寂を打ち払うように次曲「Here Comes The Sun」が始まってとても心地よい。
奏者はジョージ・ハリスンだと思われる。
ジョージのアルバム「All Things Must Pass」のおまけについてくるジャム音源にもシンセサイザーによるノイズが入っている曲がある。

天体の音楽

音楽のこの特質、「適切に扱えばノイズも使える」を考えるとき、思い出すのが天体の運動がかつて音楽に例えられていたことだ。
この現実世界の性質も、音楽に似ている部分があるのなら、例えば難民のような、現実世界でノイズのように扱われる人々にも、うまい居場所があるのではないだろうか。
そういう考えは勇気を与えてくれる。
ただし音楽においてノイズが適切に働くのは、あくまでうまく扱ったときである。
大きすぎたり頻繁すぎるノイズは聴いていて苦しい。
音を扱うのはミキサーなりプロデューサーだが、人間を扱うのは主権者である自分たちだ。
ノイズをうまく扱う知恵を得なければ。

宗教を持たない人も信仰はする

無宗教は無信仰なのか

日本人の多くは宗教を持っていない、あるいは仏教徒だけど熱心ではないくらいにとどまっているのではないだろうか。

しかし無宗教がイコール無信仰だとは限らないんじゃないかなと昨日本を読んでいて閃いたので書いておく。

宗教と信仰の定義

宗教の定義を、ここでは「目に見えない神聖なものを尊ぶための体系だった知識」とする。

また信仰の定義を、「目に見えない神聖なものを尊ぶこと」とする。

両者の違いは体系立っているかどうかである。異論は認める。

宗教と信仰のはざま

上の定義を採用すると、宗教はすべて信仰だけど信仰はすべて宗教ではない。

「信仰ではあるけど体系立っていないので宗教ではない」というポイントが考えられることになる。

例えばブッダさんはある真理を悟ったわけだけど、悟った時点ではまだ無名の信仰(というか、哲学?)だった。

サーリプッタとかその後の弟子たちがまとめた時点で今で言う「仏教」になった。

まったく別の例で、「ご飯粒を残すと目が潰れる」とかそういった民間伝承はまだ体系立っていないので、宗教ではなく信仰だと言えるだろう。

それでなにが言えるか

一つの危険があると思う。

「宗教の代わりに信仰を宗教の位置に据えてしまう」危険だ。

いや、宗教が信仰より偉いというつもりはない。

両者の違いはここでは「体系だっているか」なので、体系立っているけどいまいちな宗教とか逆に洗練された信仰もあるだろう。

ただ、無宗教に慣れた日本人の多くは、信仰の扱い方を知らないまま信仰してしまうこともあるのではないか。

信仰の不意打ち

時々、家に宗教の勧誘が来る。

彼らは宗教然として(宗教だから当然)、堂々と布教しているのだから、こちらも対処できる。

しかし例えば、学校で水に「いい言葉」をかければ水の結晶が「よくなる」みたいなのを教える、これは信仰の不意打ちである。

不意打ちに対しては一般論として対処しづらいから、その信仰を適切に判断できない。

よしと思うにせよ悪しと思うにせよそうだ。

このことがいい結果を生むとは思わない。

自覚なき信仰

あるいはこんな問題もありうる。

ある社長は、社長になる前に、頑張ればいいことがあるという教訓を得ていた。

それ自体はいいことだが、その教訓は信仰であり、信仰は自由だということを忘れ、社員にも頑張ることを強要した。

社長がそれが信仰だと気づいていれば、他人に強要したりすることもなかったろう。

対策

なぜ社長が気づかないのかといえば(この話の中では)、日本人が宗教慣れしていないからである。

信仰の不意打ちも自覚なき信仰も、いつ何時襲いかかって来るかわからない。

しかし日本人に宗教慣れさせるのに教育はあまり期待できない…というか、この方面で教育にフリーハンドを与えすぎるのはそれはそれでまずい。

自分たち個人が、信仰とはどういうものかに対し基礎知識を持っておくのができる最善だろう。

ドラマーの友人がいない場合のDTM

ドラマーの希少価値

DTMerの裾野が広がるにつれて増えていると思う、ドラマーの友人がいないDTMer。

あるいはドラマーの友人がいたり本人がドラマーでも、録音環境は用意できないという場合もありうる。

つまりは生録でないドラムでどうにかしなければならない人たちである。

自分もそうだ。

ドラムは言うまでもなく重要なパートであり、ここを生録にできないとなるとなんらかの対策が必要である。

以下にその対策を述べる。

1.生ドラムをシミュレートした音源を使う(ロック、ポップ、ジャズなど)

正攻法というか、一番わかりやすい解決策だ。

Addictive DrumsやAbbey Road Drummerなど、ドラム音源の中でも生ドラムを意識したものを使って、生録の代替とする。

ただ、ドラマーが演奏してるかのような打ち込みをするのは、いかに音源が優れていても手間と技術が必要。

2.生演奏のMIDIデータや音声データを使う(ロック、ポップ、ジャズなど)

ドラムループというやつだ。

前述の生ドラムシミュレート音源にはたいてい、ドラマーが演奏したMIDIデータがついてくる。それを読み込む。

あるいはいっそのこと、生演奏を切り貼りしやすいように加工したループを手に入れても良い(DAWに最初から入ってたりする)。

もとが演奏なので、「ドラマーが演奏しているかのように」するのは楽だが、小回りが効かない。

3.いっそ打ち込みで行く(テクノ、ヒップホップなど)

いや、生ドラムをシミュレートした音源でも打ち込むことは打ち込むのだが、この場合はドラムマシンもしくはドラムマシン風音源を使う。

「ドラマーが演奏しているかのように」する必要もなくなるし、逆に演奏しているかのような打ち込みも可能だ(生演奏とは音色が違うからハードルが低い)。

というわけでメリットが多いし、自分も最近はドラムマシン風音源を使うことが多くなってきているのだが…

ジャンルが限定される!

生ドラムが使われるジャンルはロック、ポップ、ジャズとか数限りなくあるし、

ドラムマシンが使われるジャンルもテクノ、ヒップホップ、EDMなど生ドラムより少ないにせよある。

しかし越境しづらい。

無いことはないのだが(レッチリとかはヒップホップ育ちの生ドラムなんじゃないかな)、限られる。

自分としてはロックの膨大な作曲上の「語彙」を、ドラムマシンのグルーヴでうまく表現できないかと思っており、それが最近の課題になっている。